ふーめーきんと学ぼう!! ⑤「幻島」

2020年も折り返しですね!
どうも、ふーめーきんです。
夏の間は例の服では暑いので
こちらも衣替えです!
どうですか?似合ってます?
1、幻島と書いて「まぼろしとう」と読む
「きょうは マボロシじま みえんのう・・・・」
――キナギタウンのおじいさん(ポケットモンスタールビー/サファイア)
幻島(まぼろしとう)とは、一度はその存在が信じられ、一定のある期間にわたって地図上に記載されたのに、後の調査でその存在が否定されて地図上から削除された島のこと。上記の「マボロシじま」のように超超低確率で出現したりする訳では無く、そもそもその地点に島は存在しないのです。島があると思しき所に行ってみたら水深1000m以上の深さだったりすることも。
有史以前に存在していたと一部の人々に信じられた点では、伝説上の島や大陸とよく似ていますが、基本的に伝説上の島や大陸は神話や伝説が伴う筈です。一方で幻島は、近代に入って科学的に報告され、その時点での存在が信じられていました。そのため、幻島と伝説上の大陸とでは、その性質がかなり異なっています。
何故そうなってしまったのか、理由は島ごとにバラバラでそもそも余りにも昔すぎて具体的なデータが取れないところもあります。でもなんとなーくロマンを感じませんか?「謎の島」ってワードだけで冒険心が疼きませんか?…という訳で今回はそんな幻島を幾つか紹介していきたいと思います!
えっ、月刊ムーの読みすぎ?夏ですからこんな記事も良いかなーって思いまして…
2、〽次の目的地を描くんだ 宝島
・サンディ島
ニューカレドニア島北端から西北西約400km、チェスターフィールド諸島の東の珊瑚海にあたるフランスの領海内にあるとされていた幻島です。この島が初めて文献に登場するのは1792年、ブルニー・ダントルカストーによって書かれたもので、ニューカレドニアの沖合にて航海中に発見したいくつかの小島の1つとして紹介されています。
南緯19度13分、東経159度55分と位置もはっきり分かっていたのですが、2012年11月になって驚きの事実が判明しました。調査船Southern Surveyorの海洋調査において、地図によってこの島が載っているものと載っていないものがあることを地質学者が気づき、この島を調査することとなったのです。その結果、島は見つからずに島が存在するとされていた場所は「水深1,400mの海底」であることが明らかとなりました。
原因としては、1876年に捕鯨船が南緯19度14分、東経159度56分及び南緯19度50分、東経158度51分に存在する「島」と「環礁」を報告したのですが、これがその時代の地図製作者によって「1792年に発見された島が再確認された」と誤認されてしまい、地図に記載されてしまったと考えられています。
一応、トラップストリートのように、架空の島をわざと記載することで著作権を侵害した地図を炙り出す為の「著作権トラップ」だったのではないかという説も出ました。ですが、オーストラリア海軍水路部の担当者は海図において著作権トラップは一般的ではなく、単なる人為的なミスであろうとしているようです。
因みに、この話が出る前にはこの島はあのGoogle Earthにも載っていたそうです。当時のGoogle広報は、同社地図に対するユーザーや関係当局からの意見・評価は常に歓迎するとコメントしています。「地図・地理に関して何より心躍ることの1つが、世界は常に変化しているという点だ。その変化をいち早く把握し地図を最新の状態に保つ努力は、果てしなく続くだろう。」とのこと。
・波浪島(パランとう)
島というものは外交問題としてよく話題になりますね。日本と韓国の間にも「竹島問題」が根付いていますが、この島はどういうものなんでしょうか。
1951年、サンフランシスコ講和会議の開催に際し、韓国駐米大使の梁裕燦が外交文書としてアメリカ合衆国政府に提出した要望書「米国草案(サンフランシスコ平和条約)に対する韓国側意見書」で、竹島などとともに日本が放棄すべき島の1つとして韓国はこの波浪島の韓国領への帰属を要望しました。
この時、アメリカ合衆国国務長官であったディーン・アチソンに、竹島と共に島の位置面積などを尋ねられた梁韓国大使は「だいたい鬱陵島(こっちは韓国領。直径10㎞程の火山島)の近くで日本海にある小島である」と返答したのですが、その後の米政府の調査、及び韓国政府による懸命な捜索にも拘らず、現在まで発見されていません。
その後、アメリカ政府はラスク書簡にて竹島とともに波浪島に対するこの韓国政府の要望を却下しています。今なお所在不明なのですが、韓国政府は現在も公式にその存在を否定していないようです。また、東シナ海の蘇岩礁(実際は暗礁なのですが)が波浪島だと主張されることもあります。
ただ、何と言うか、その後の動きがなーんか引っ掛かるんですよねー…
1984年 - 済州大学(韓国の大学)が、中国名「蘇岩礁」を探査し「波浪島」とする。
2001年1月26日 - 韓国地質学会が波浪島を「離於島」とする。
2006年12月29日 - 韓国海洋水産部が、中国名「丁岩礁」を「波浪礁」とする。
・中ノ鳥島(なかのとりしま)
そのお隣、日本にも幻島があります。というか幻島は島国の方が圧倒的に多いので、島国である日本は他の国に比べて多い筈です。
中ノ鳥島は北緯30度05分、東経154度02分に存在したとされていた幻島です。別名を「ガンジス島」といい、近くには「ガンジス礁」もあったとされています。海図などでは「中ノ鳥島」の表記が用いられていましたが、日本政府の発する命令(政令・省令など)では「中鳥島」の表記が多く用いられたようです。存在していれば、南鳥島を差し置いて日本最東端の島になっていたのですが…。というよりその辺りは、北は千島列島、西は伊豆諸島や小笠原諸島、南は南鳥島、そして東ははるか日付変更線の彼方、ハワイの西にあるミッドウェー諸島に至るまで、少なくとも海の上に出ている地面は全く何もない所なので、存在していれば正しく「絶海の孤島」という表現が相応しいでしょう。
この中ノ鳥島、一度はしっかり「発見」されておきながらその後どうしても再発見することがどうしても出来ず、その為とうとう海図から抹殺されてしまった、という曰く付きの島なのです。更にこの島、発見されたのが1907年、何と20世紀に入ってからのことで、海図から消されたのが1946年、要するに戦後になってからなのです。つまり、そんなに大昔の話では無く、わずか半世紀と割と最近までこの島は堂々と海図上に存在していたのです。
どうやら、もともとこの辺りの海には「ガンジス島」という実在の疑わしい島に関する報告があったところに山田禎三郎という人物が1907(明治40)年8月に島を発見した、と報告してきた為、翌1908(明治41)年8月に日本領に編入し「中ノ鳥島」として海図に載せた、という経緯らしいのですが、この山田禎三郎さん、何とこの中ノ鳥島に上陸しているようなんですよね。一体何処に上陸したんでしょうか…?
ところで敗戦後の1946(昭和21)年、連合国最高司令官総司令部(要はGHQ)の民間情報教育局(CIE)は、占領下の「日本」の範囲についての指令を発しました。ところが、その指令の中には見慣れない例のあれが。
[前略]昭和21年2月2日(但し発令は1月29日)の連合軍総司令部民間情報教育局発表の指令によると「日本の範囲は北海道・本州・九州・四国および約1000に上る諸島嶼」とあり,[中略]同指令により日本領域として特に指定せられる島嶼には千島諸島および北緯30度以北の琉球(南西)諸島(但し口ノ島を除く)を含んでゐるが,次の島嶼は除かれてゐる。
(A)鬱陵島・竹ノ島[竹島]および済州島
(B)北緯30度以南の琉球(南西)諸島(但し口ノ島を含む)伊豆,南方,小笠原および火山(硫黄)列島(但し伊豆諸島は21年3月26日連合軍総司令部より日本行政権行使範囲に包含せしめる旨の通達があつた)その他外辺の太平洋諸島(大東島,沖ノ鳥島,南鳥島,中ノ鳥島を含む)
(C)千島列島,マボマイ〔歯舞の誤〕群島(水晶島,勇留島,秋勇留島,オヒベツ島〔志発島の誤〕,多楽島を含む)色丹島
――『朝日年鑑』昭和22年版(朝日新聞社 1947), pp.291-292
無い島を日本の範囲から切り離しても仕方がない気がするのですが、どうやらこの頃まではまだ、中ノ鳥島は地図上にその姿を現していたようです。そして1946年(昭和21年)11月22日の水路告示第46号(昭和21年11月22日付官報掲載)において、近くの暗礁も含めて不存在として削除されたことで、一般の水路図誌からも削除されることとなりました。中ノ鳥島の記述は告示に従い順次削除されましたが、改正されていない水路図や地図は依然として民間で流通していて、1953年に出版された『高等新地図』(地勢社)に描かれるなど、暫くは新規発行の地図にも記載されていました。
他の日本の幻島には、柿本人麻呂の死地とされる鴨島や安土桃山時代に1日で沈んだとされる瓜生島があります。どちらも近代より昔の話なので、もしかしたら実在していたのかも知れませんね。

はい、前半はここまでです!
やっぱりこういうミステリーとか
みたいな話って唆られませんか?
という訳でこの後は後半です。
是非ともこの後も見ていって
欲しいなと思いますね!!
・フィリッポ礁
フィリッポ礁は中部太平洋、ライン諸島・スターバック島の東450kmに存在したとされるサンゴ礁です。恐らく今回紹介する島の中で最も情報量が少ないものになると思います。
フィリッポ礁が初めて報告されたのは1886年6月28日のことで、イタリアの帆船「フィリッポ (Filippo)」の船長によるものでした。1926年の不詳の報告によれば、その礁は深さ僅か0.6mから0.9m程で、大きさも最長部分が北西から南東に約1.6kmほどあり、幅はそれ以下とされていました。
フィリッポ礁に関するはっきりとした報告は、この1926年のものしかありません。ですが、国際水路機関と国際連合教育科学文化機関・政府間海洋学委員会によって作成された大洋水深総図によれば、この海域の水深は3.3マイル(約5300m)もあるとされています。この為、フィリッポ礁に関する1926年の報告は何らかの原因によって起こった間違いで、フィリッポ礁は幻島であると結論付けられました。また、1926年の報告に由来する海図も同様なのですが、2005年の『National Geographic Atlas of the World』にはフィリッポ礁の記載がなされているようです。
これでおわりです。 短い……
・ロス=ジャルディン諸島
ロス=ジャルディン諸島は、16世紀以来、実に400年以上に渡って、「E.D.」(Existence Doubtful. 「疑存」=存在が疑わしい、の意味)の符号を付けられつつも海図に描かれ続けてきた島です。位置は北緯21度40分、東経151度35分で大体南鳥島とマリアナ諸島の丁度中間あたりで、南鳥島から西南に約390km、マリアナ諸島から東に約650km以上離れた場所にあったとされています。場所から見ると、もし実在していたとすれば日本領になっていたかも知れません。
1529年、スペインの探検家アルバロ・デ・サアベドラは、マリアナ諸島の北東約690kmに2つの小さな島を発見した、と報告しました。彼はこの二つの島をロス=ブエノス=ジャルディン諸島と命名し、数日間滞在したといわれています。彼の報告によれば、この島々には非常に友好的な先住民が住んでいたそうです。その約14年後、ビリャロボスという人物も、ほぼ同じ位置に小さな島をいくつか見たと報告しましたが、その後約250年の間この島に関する報告はありませんでした。
ところが1788年、イギリスのジョン・マーシャル大佐は、北緯21度40分、東経151度35分に二つの小さな島を目撃した、と報告しました。因みに、「マーシャル諸島」という名前は、このマーシャル大佐の名前に由来するものなのです。彼の見た島々は、16世紀に報告された島々とは約140km程西に離れていますが、16世紀当時の技術水準から見ればこの程度の誤差は充分に考えられるものです。マーシャルは優れた航海者だったので彼の報告は信頼できるものと見なされ、海図には彼の報告した位置に「ロス=ジャルディン諸島」が記入されることになりました。
しかし、マーシャルの再発見以降、200年以上経った今日に至るまで、ロス=ジャルディン諸島は、ただ一度だけ、ある捕鯨船が北緯20度50分、東経151度40分の地点に島を目撃したと報告したのを除いては誰にも目撃されていないのです。
1933年、アメリカ海軍の軍艦ラマポは、2日間を費やして、ロス=ジャルディン諸島付近海域全体をカバーする調査を敢行しました。その結果陸地は認められず、島は存在しないことが分かりました。この為、アメリカ海軍水路部は、この島を海図から削除したのですが、音響測深機による海底調査の結果、この付近の海域には顕著な海底地形が発見されました。水深約5500~5900mの海底から、直径約37km、高さ約3700mの富士山並みの海山がそびえたっていたのです。この海山には、約15km離れた2つの頂上があり、最高点は水深約2050mでした。200年前には、この部分が島のようになっていたのでしょうか?
ただ、沈没の可能性となると、約200年間の内に陸地が2000mも沈降したということになってしまいます。いくらなんでも深すぎるでしょう。数万年単位とかならともかく、これは少々無理そうですね。という訳で他の理由を考えてみましょうか。例えば、位置の測定を誤認して他の島と間違えたという可能性。ですがこれは、マリアナ諸島からはやや遠すぎるし、南鳥島もやはり遠い上、「二つの島」という条件に合いません。
島ではないものを島と誤認した、という可能性もあると思います。近野不二男『北極奇談 幻島の謎』では、マーシャルの事例を取り上げて、「この海域では遠くの雲塊がまるで群島のように見えることがよくある。これもその一例ではないかと考えられている」としています。同書では、実際に雲塊を島と誤認した例として、1760年にリンデマンという人が南米のラプラタ川河口近くで発見したサクセンブルグ島を挙げているので、確かにこの可能性も考えられないこともないでしょう。ですがそれでは、上陸して先住民と接触しているサアベドラの例は、どう解釈したらいいのでしょうか……?
なお、この島が日本の海図から消されたのは、何と1972年(昭和47年)になってからのことでした。結構後でしたね…。
3、幻島が出来てしまう訳
幻島は、通常は未知の海域を探検した航海者の報告から始まります。そのうちの幾つかは実在の島々の位置の計測の誤り、あるいは地理学上の錯誤が原因です。例えばピープス島は実際にはフォークランド諸島を見誤ったものでした。他にも、バハ・カリフォルニア半島は初期のいくつかの地図では島として描かれていますが、後代に北アメリカ大陸と陸続きであることが発見されているようです。
他の幻島は恐らくですが航海術上の錯誤か、氷山を見誤ったか、厚い層を成す霧か、はたまた光学的な錯覚に起因するものでしょう。ニューサウスグリーンランドは、1823年にウェッデル海で観測されたものですが、その後二度と観測されることはなく上位蜃気楼によるものとも考えられていますが、氷山の誤認、ナビゲーションミスによる位置誤認、さらにはでっち上げ説といった異説も唱えられています。
多くの幻島は、その後の探索によって不存在が確認され、地図上から消えて行きました。20世紀後半からは、飛行機や人工衛星による地理的な観測が進み、実在性の曖昧な幻島の存在する余地は少なくなりました。しかし近年でも先程のサンディ島が実在しないことが判明したりと、まだまだ完全では無さそうですね。また、多数の幻島はそもそも存在しなかったと見なされていますが、幾つかの島についてはかつて実在したであろうと考えられているものも存在します。やっぱりロマンがあって良いですね。

今回の記事はこれにて終了です!
いやー、楽しかった!!(小並感)
今夏はこういう夏っぽい記事を
いっぱい作っていきたいですね。
それではまた次回も
よろしくお願いします!
参考にしたページ


…なーんて。
実はもう少しだけ続くんですよ。
ロス=ジャルディン諸島の項目、
何か歯切れ悪いなって
思いませんでしたか?
あそこ、参考にした部分が
かなり事実誤認を含んでたんです。
……え?確認不足、ですか?
それはここを見なかった方も
大概じゃないでしょうかね~?
EX、ロス=ジャルディン諸島の真実
さて、結構な大口を叩いてしまい申し訳ないです。でもこういうちょこっと騙す奴を一度はやってみたいなって思ってたんですよ。なので許してください……。
先程の文章は主としてG・S・ブライアンの論文に基づいています。ところが、その後に資料を再確認してみたところ、この論文には重大な事実誤認がいくつか含まれているということが分かりました。但し、これは必ずしもブライアンさんだけの責任というわけではありません。たとえば、海図から削除される直前、1968年(昭和43)12月に海上保安庁が発行した『本州南・東岸水路誌』では、ロス=ジャルディン諸島については以下のように記載されています。
・疑存礁
Los Jardines Islands 1788年英国船船長 Marshall の報告によれば、21°40′N., 151°35′E. (先程の水路通報47年1645項と位置が異なっていますが原文ママ)に2小島があるといい、また、これより前1529年に同位置付近に Alvaro de Saavedra は小島を発見し、 Los Jardines Islands と名づけたというが、いずれも風説でその存在は疑わしく、大正15年軍艦満州がこれを捜索したが、図載位置の付近20M(海里のこと、約37km)以内には島礁はなかった。
捕鯨者の言によれば、上記 Los Jardines Islands の図載位置の南東方約100M(約190km)、20°30′ N., 153°00′E. に礁があったというが、大正15年軍艦満州が探測したが、図載位置の付近15M(約28km)以内には礁脈はなかった。
これを真実とするならば、そもそもサアベドラとマーシャルによる発見という、ロス=ジャルディン諸島について広く信じられてきた話自体に、実はとんでもない誤りがあったということになります。以下、主としてヘンリ・ストンメル著の『失われた島々』に依りつつ、間違いを訂正していきます。
まずサアベドラですが、彼自身は、自分の発見した島々の位置が北緯21~22度附近だった、などとは主張していません。それどころか、同時代の文献ではこの島々はもっと低緯度だとされているのです。以降、混乱を避けるためにサアベドラの発見した島についてはスペイン語読みで「ロス=ハルディネス諸島」と表記します。例えば、ポルトガル人アントニオ・ガルヴァンの『諸国新旧発見記』は、ロス=ハルディネス諸島の緯度を北緯10度ないし12度だとしています。また、16世紀から18世紀前半までに製作された地図や地球儀などでは、ロス=ハルディネス諸島は北緯10度附近に描かれています。
そして、もし緯度が北緯21度附近ではなく北緯10度附近だとすると、ロス=ハルディネス諸島の正体は謎でもなんでもなくなってしまいます。確かに北緯21度附近には島が殆ど無いのですが、北緯10度附近であれば、カロリン諸島やマーシャル諸島の島々が数多く分布しているからです。となると、サアベドラの報告した島々は、実際にはこの辺りの何処かだと考えられます。候補地としては、アメリカの核実験場として有名になってしまったマーシャル諸島のエニウェトク環礁やビキニ環礁、あるいはロンゲラップ環礁やロンゲリック環礁などでしょうか。実際、サアベドラのこの航海が、ヨーロッパ人によるマーシャル諸島の初見例だとしている文献も少なくないようです。
同様のことは、ビリャロボスの報告についても言えますし、そもそもビリャロボスの見た島とサアベドラの見た島が本当に同じものだったのかどうか、という保証もありません。
ところが、この北緯10度附近のロス=ハルディネス諸島が、18世紀半ば、海図上で何の脈絡もなく10度も北上してしまいます。理由は不明。どうやら、ロス=ジャルディン諸島を幻島に仕立てあげてしまった元凶は、この地図製作者の錯誤にあるようです。ストンメルは、別の疑存島である「ラス・ドス・エルマノス諸島」(1543年にスペインのベルナルド・デ・ラ・トーレが発見したとされる島々。南北大東島だと推定されています)と混同された結果ではないか、と推測しています。
それでは、マーシャルの報告はどうなのかと言いますと、実はマーシャル自身はロス=ジャルディン諸島を発見した、などとは一言も述べていなかったのです。 は?
1788年、マーシャルのスカーボロ号はトマス・ギルバートという人のシャーロット号とともに、オーストラリアから中国の広州へと向かいました。途中、彼らはギルバート諸島(現キリバス共和国)とマーシャル諸島(現マーシャル諸島共和国)を目撃しています。というより、そもそもこの二つの諸島の呼び名はこの両名に因むものです。その後、7月14日から18日にかけて、マーシャルとギルバートはロス=ジャルディン諸島を探し回りました。ギルバートは自身の航海記『1788年のニューサウスウェールズから広東までの航海』の7月15日の項目に、次のように書いています。
This day I conceived myself not far from the islands called the Gardens, laid down in several charts nearly in this latitude. No observation. Latitude by account 22° 30′ N. longitude by lunar observation 151° 44′ E. [pp. 50-51.]
この日、私は自分の位置が、ザ・ガーデンズ(ロス=ジャルディン島)と呼ばれる島々から遠くないと考えた。この島々は、いくつかの海図において、ほぼこの緯度に記載されている。観測なし。緯度は計算によれば北緯22度30分、経度は月の観測によれば東経151度44分。
この時、船内で壊血病が発生した為彼らは休息の為に手頃な陸地を必要としていたのですが、彼らはついに海図上には記載されているこの島々を発見することは出来ませんでした。
ところが、イギリスの地図製作者アーロン・アロウスミスは、1798年に製作した海図において、この島々に何故か「ジャーディンズ諸島、スカーボロ号に基づく」という一文を付けてしまいました。ここから、マーシャルがロス=ジャルディン諸島を再発見した、という間違った説が生じたらしいのです。極めてややこしいことに、北緯21度附近のロス=ジャルディン諸島のことを「マーシャル諸島」と呼んでいる地図や文献もあるようです。
要するに、ロス=ジャルディン諸島とは、謎でも何でも無いものが、地図製作者たちの複雑怪奇な勘違いによって謎にされてしまったものに過ぎなかったのでした。

はい、今度こそお疲れ様でした!
いやぁ今回、紹介する候補が
幾つかあったんですけども、
かなりのソース不足でして…
真偽が調べられず申し訳ないです。
…えっ、確認不足?
その通りですね…ごめんなさい…
参考にしたページ(完全版)
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