ふーめーきんと学ぼう!! ②「世界遺産」

ど、どうも…
前回のトラウマから抜け出せない
ふーめーきんです…。
今回のテーマは…「世界遺産」?
ありきたりな気がするけど
大丈夫かな?
1、世界遺産とは何じゃらほい
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて世界遺産リストに登録された、文化財、自然、景観などの、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象になっています。
世界遺産は、政府間委員会である世界遺産委員会によって決定されますが、諮問機関として、文化遺産については国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が、自然遺産については国際自然保護連合(IUCN)がそれぞれ勧告を出して、両方の要素を備えた複合遺産の場合には、双方がそれぞれ勧告します。
他にも、潜在的もしくは顕在的に保存にとって脅威となる状況に置かれているものは危機遺産リストに登録されて、国際的な協力を仰ぐことになるようです。そして、適切な保護活動が行われていないなど、世界遺産としての「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合には、世界遺産リストから抹消されることもあります。(例として、1994年にオマーンの世界遺産(自然遺産)として登録された「アラビアオリックスの保護区」は、2007年に上記の理由で抹消されています。)
それでもUNESCOの世界遺産マップにあるように、世界遺産条約締約国は190ヵ国以上、2020年5月現在で登録件数は1121件、とかなり多いです。世界遺産条約はもっとも成功した国際条約と呼ばれることもしばしばあるようですが、反面、その登録件数の増加に対しては、保護・管理などの本来の趣旨から外れているのではと懸念を抱く専門家たちもいます。他にも、専門家の勧告を覆す政治的決定の増加、都市開発と遺産保護の相克、過度の観光地化など、知名度が高くなったからこその問題も持ち上がってます。
…で、今回は何をするの?
きっかけは3年前くらいの話。図書館で世界遺産についての本を読んでいた時に個人的に驚愕した1文を見つけました。
曰く、「ブドウ畑が世界遺産になっている」と。

ええっ、ブドウ畑⁉

他の図書館利用客「………」
……………………‼‼‼
あの時は滅茶苦茶声出てましたね。ごめんなさい…
ということで、今回はこの世界遺産の中でふーめーきんが「こんなのがあるのか⁉」と驚いた世界遺産を紹介、解説していこうと思います。でもこれ、Youtubeでやれって話ですよね…。
2、この世界遺産すごいよ!さすが移動不可の不動産!!
ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(フランス共和国)
ブルゴーニュワインの主産地に形成されたブドウ栽培地の文化的景観です。登録名にある「クリマ」(Climat)とは、ブルゴーニュのブドウ畑の小さな栽培区画のことで、ギリシア語における原義は「(赤道から極へ向かっての)大地の傾斜」でした。それが現在では、気候や風土を意味する語として使われています(※1)。世界遺産には、1,247箇所のクリマだけでなく、ワイン流通の中心地であったボーヌ市街や、ブドウ栽培地の行政を司ってきたブルゴーニュ公国時代の首都ディジョンの歴史地区も含まれています。
ワイン産地として登録されている世界遺産はこれ以外にも10件程あり(トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観(ハンガリー)、ラヴォー地区の葡萄畑(スイス)など)、別段珍しいことではないですが…畑がその国の文化を支えてるって言われると確かにそうなのかもしれませんね…。
※1…英語のClimateも語源は同じらしいです。
ジョドレルバンク天文台(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)
1957年に完成したイギリスマンチェスター大学のジョドレルバンク天体物理学センターの天文台の1つです。その中の、口径76メートルのラヴェル望遠鏡は1973年までは世界最大の可動型電波望遠鏡であり、現在でも世界で3番目の大きさを誇ります。世界初の人工衛星スプートニク1号と打ち上げロケットR-7を捉え、冷戦時代にソ連とアメリカ、双方の宇宙探査機を追跡して活躍したことでも知られています。
ジョドレルバンク天文台はユネスコがICOMOSや国際天文学連合(IAU)と推進する天文遺産の評議会において高い評価を得たことで世界遺産への推薦を決め、事前調査の中間報告では登録勧告が出されました。そして、2019年7月7日、第43回世界遺産委員会にて世界遺産リストへの登録が決議されました。ほぼほぼ最新の世界遺産ですね。同じく2019年に登録された世界遺産は百舌鳥・古市古墳群(日本国)、アウクスブルクの水管理システム(ドイツ連邦共和国)など28件あります。
シンガポール植物園(シンガポール共和国)
名前のまんま、シンガポールにある植物園です。敷地は63.7ヘクタールもの広さで、ひと回りで3時間以上と言われています。敷地は南北に細長い形をしていて、北から順にブキット・ティマ・エリア、中央エリア、タングリン・エリアの3つに区分されています。開園時間は午前5時から夜中の12時までの年中無休で、国立洋ラン園(ナショナル・オーキッド・ガーデン)以外は入場料は必要ないそうです。
その国立洋ラン園ですが、世界のVIP、著名人がここを訪れた際に歓迎の意を込め、ランの新種にその人物の名前を付ける「VIPオーキッド・ガーデン」なるものが存在し、なんとダイアナ妃、皇太子徳仁親王妃雅子の花などが展示されているんだとか。
こちらは2015年の第39回世界遺産委員会で世界遺産リストに登録されました。シンガポール初の世界遺産です。因みに分類は自然遺産ではなく文化遺産です。
余談ですが、シンガポールが日本の占領下だったときは昭南植物園と呼ばれてたとか。
ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-
こちらは20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人、ル・コルビュジエの作品群、その中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件です。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、ドイツ・アルゼンチン・ベルギー・フランス・インド・日本・スイスの7か国に残る建築群が対象となっています。国境をまたぐ世界遺産は幾つかありますが、こちらは大陸を跨ぐ初の世界遺産登録になりました。
17件ある内の殆どがフランスですが日本にも1件あります。何かというと、東京は上野の「国立西洋美術館」です。一応世界遺産なんですよアレ。日本に残る唯一のル・コルビュジエの建築というだけでなく、東アジアでも唯一のものなので、関東住みの人はいつか足を運んでみてはいかがでしょうか?

はい、ここで折り返しになります。
「遺産」と聞くと古い物を
想像しちゃいますが
意外と近年の物も多いんですね!
…あとブドウ畑って意外と
珍しくも無いんですね…
クルエーン/ランゲル=セント・イライアス/グレイシャー・ベイ/タッチェンシニー=アルセク(カナダ、アメリカ合衆国)
また長大語かよ長いよ!というのは置いといて、こちらはアメリカのアラスカ州と、カナダにまたがる4つの公園です。氷河や雪原が作り出した美しい自然と、多種多様な動植物の貴重な生息地となっています。海にはラッコやクジラ、アザラシやトドが生息していて、これらの動物を狙ってヘラジカやグリズリーが泳いでくるそうです。画像検索してみると分かりますが本当に綺麗ですね…。
世界遺産への登録の経緯ですが、まず1979年にクルエーン/ランゲル=セント・イライアスとして登録されて、1992年にグレイシャー・ベイ、1994年にタッチェンシニー=アルセクが拡大登録され現在の名称になりました。タッチェンシニー=アルセクの登録は鉱山開発が発端です。保護運動がおこり1993年州立公園になった後、世界遺産となりました。段々大きくなるタイプの世界遺産です。
ロイ・マタ首長の領地(バヌアツ共和国)
そう、領地です。バヌアツの口承物語で語り継がれてきた伝説的な首長であるロイ・マタの領地だった場所のうち、特にその生涯にゆかりのある象徴的な場所、つまり邸宅、死んだ場所、墓の3箇所が対象となっています。
「ロイ・マタ」というのはバヌアツのエファテ島周辺の島々を支配していた最高位の首長の称号で、世界遺産の登録対象となったロイ・マタは、1600年頃に活動していたと推測されている最後の称号保持者のことです。ロイ・マタは地元で語り継がれてきた物語の中に登場していて、それによると、エファテ島周辺で長らく続いてきた諸部族間の抗争を終息させ、エファテ周辺の島々に平和をもたらしたが、弟の放った毒矢に倒れたとされています。なお、1967年の発掘調査によって、墓に関する伝承の正確さが証明されました。
勿論、バヌアツ初の世界遺産です。一応、オセアニアの島嶼にはモアイで有名なラパ・ヌイ国立公園(チリ)が、独立国の世界遺産としては東レンネル(ソロモン諸島)があります。しかし、独立した島嶼国家の文化遺産として登録されたのは、この「ロイ・マタ首長の領地」および同年に登録されたクックの初期農業遺跡(パプアニューギニア)が初です。
キトの市街(エクアドル共和国)
エクアドルの首都、キトの旧市街が丸ごと遺産として登録されているもので、アーヘン大聖堂(ドイツ)、ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)、イエローストーン国立公園(アメリカ)などと共に1978年に登録された最初の世界遺産12件の内の1つです。キトの市街は保存状態の良好さが高く評価されている歴史地区で、16世紀には南米大陸におけるキリスト教布教の拠点だったことから、かつては「アメリカ大陸の修道院」の異名をとっていました。キトが建設されたのは1534年のことで、インカの武将ルミニャウイの追撃の途上でこの地に入ったセバスチャン・デ・ベナルカサスによって建てられました。
このキトの市街には、皆さんも一度は聞いたことがあるであろうサン・フランシスコ聖堂・修道院があります。サン・フランシスコ聖堂・修道院は、南アメリカ大陸最古の歴史を誇る聖堂・修道院で、完成までに70年以上の歳月を要して建設され、キトで最も風格ある佇まいは「アンデスのエル・エスコリアル宮殿」と称されています。
フレデフォート・ドーム(南アフリカ共和国)
名前から「球場かな?」と思った人、不正解です。こちらは南アフリカ共和国にある現存する世界最大にして世界最古のクレーターで、2005年7月に開かれた第29回世界遺産委員会で世界遺産の自然遺産物件として登録されました。隕石の衝突跡の直径は約190km(※2)で、隕石の衝突跡は中央のドーム(直径約50km)とそれを取り囲む外輪山からなります。
今から約20億2300万年前に直径10から12kmの小惑星が速度約20km/sで衝突してフレデフォート・ドームが生成されたと考えられていて、衝突時のエネルギーはTNT火薬に換算して87Tt(テラトン、広島型原爆が約15kt、即ち58億倍)にのぼります。この時の衝突で地殻はえぐられ、地下25kmまで到達し、さらに衝突熱でマントルが溶融して多量のマグマが発生、大量の岩石が蒸発し、急激に冷却したことを示す地質が確認されています。また衝突による地殻の溶解と攪拌により金鉱床が形成されました。衝突後まもなくのドームの大きさは300km程度あったと推定されていますが、現在は長年の侵食により50km程度になってしまいました。 この衝突は、カナダのサドベリー・クレーター、メキシコのチクシュルーブ・クレーター(こちらは恐竜絶滅の原因ともいわれている)と共に地球史の3大隕石衝突の1つに数えられています。現在のクレーターは草原地帯となっていて、固有の蝶、鳥、哺乳動物が生息しています。また付近の川ではラフティングや沢登りが楽しめ、乗馬やハイキングコースもあるそうです。
※2…横浜駅(神奈川県)と浜松駅(静岡県)の直線距離が大体191.52kmです。とても広いクレーターですね…。

今回はこれd…あ、まだ2件ある?
ていうかこれ世界遺産じゃないけど…
…別枠?なら大丈夫かな…?
3、抹消された○○って格好良いけど大体悪い奴
ここからは1度登録された後、様々な理由で抹消された遺産を紹介します。
アラビアオリックスの保護区(オマーン国)
1994年にオマーンの世界自然遺産として登録されました。アラビアオリックスは想像上の動物であるユニコーンのモデルになったといわれているウシ科オリックス属の草食動物のことです。過去にこの動物の特徴ある角を狙う狩猟が原因で、1972年に野生種が絶滅してしまいました。その後、オマーン国王カブース・ビン・サイードが1982年にアメリカから譲り受けた10頭を、オマーン中央部の砂漠の丘陵地帯ジダッド・アル・ハラシース平原に放し飼いで野生に戻し、同地域を保護区として設定しました。
登録から間もない1996年には400頭にまで達したものの、以降は密猟の取締りの不十分さなどから数を大幅に減らしてしまいました。さらに2006年、オマーン政府は油田などの資源開発の為、アラビアオリックス保護区を1/10(※3)に縮小するという衝撃的な方針をユネスコに提出しました。その内容を受け、ユネスコは急遽調査団を組織して現地に派遣。その結果、全65頭いるうちメスが4頭のみという悲惨な実情が判明することになります。このままアラビアオリックスの保護区を縮小すると再度絶滅の可能性があると判断したユネスコは、2007年5月に保護体勢を強化するために、この土地を、危機リストに登録するようにオマーンに提言しました。
委員会では抹消に躊躇する意見も複数出され、投票に持ち込まれたものの、抹消支持は13票で決議に必要な3分の2(21か国中14か国以上の賛成)に届かませんでした。その後、ワーキンググループによる検討を経て、再び委員会審議になり、 委員国から以下のような反対意見が寄せられました。
顕著な普遍的価値が損なわれ、単に一覧表から削除するだけなら、世界遺産委員会は一体何のためにあるのか。
— インド代表
これは遺産保有国だけでなく、世界遺産委員会の失敗であるとも言えよう。削除する前にできるだけの努力をするべきである。
— 日本代表
しかし、オマーンは保護区削除の姿勢を翻すことなく、「アラビアオリックスを保護・管理を続ける能力も意思もない」と表明し、世界遺産からの削除を求めたため、世界遺産登録抹消となりました。世界遺産のなかで登録を抹消されたのは、これが初めてでした。
※3…27,500km²から2,824km²。
ドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ連邦共和国)
エルベ川の上流域に当たる、ドイツ東部に形成された渓谷の一つで、なだらかな谷には都市ドレスデンが発達し、市域は川を挟むかたちでおよそ20kmにわたって続いています。当地はエルベ川沿いの中央ヨーロッパにおける優れた文化的景観を形成していて、その価値は、渓谷が都市の一部であるとともに自然の河岸の一部であることに見出されていました。
ドレスデン・エルベ渓谷は2004年に世界遺産リストに登録されましたが、渓谷には以前よりドレスデン市街の渋滞緩和を目的とした架橋計画(全長635m、4車線のヴァルトシュレスヒェン橋)が存在しており、すでに10年にわたる議論が続いていました。この橋の建設計画はドイツ政府が提出した登録申請書にも明記されていたようです。そこでユネスコは翌年の第30回世界遺産委員会で「橋の建設が景観の広がりを分断・限定する」と判断しました。一帯の文化的景観が損なわれた場合、もはや世界遺産としての「顕著で普遍的な価値」は認められないとの認識を示して、ドレスデン・エルベ渓谷を危機遺産リストに加えると共に建設が開始されたならば世界遺産リストからの抹消もありうると決議しました。 一方、橋の建設計画は2004年2月にようやく確定したのですが、6月(世界遺産登録の前月)に行われた市議会選挙の結果、議会の勢力が変化し、建設反対派が議会の多数を占める情勢になりました。この結果、橋の建設を求める住民グループが住民投票を求める活動を開始し、2005年2月に、橋の建設の是非を問う住民投票が実施されました。住民投票の結果、建設賛成票が67.9%に達したため、計画が実行に移されることとなってしまいました。
第32回世界遺産委員会(2008年)の時点で既に工事が始まっていましたが、ドレスデン市当局が計画の変更などを模索している旨の報告があり、建設の撤回とすでに着工された部分の復元を条件になおも1年の猶予が与えられることとなりました。しかし、ドレスデン州議会が建設の推進を決議し、2008年11月に上部構造の建設が始まると、もはや不可逆の状態に至ったものとして、翌年の第33回世界遺産委員会で抹消が決議されました。第32回の時点で着工されていたこともあってか、この第33回委員会では抹消やむなしという雰囲気があったそうです。形式的にオマーン当局による要請という形になったアラビアオリックスの保護区と違って、こちらは世界遺産委員会が主体的に抹消を決議した最初の事例です。
決議では追加事項として、文化的景観としての完全性は損なわれたものの、顕著な普遍的価値を有する部分も残ることから、範囲を変更する等何かしらの改良を施せば再推薦の可能性はあるとされました。因みに、問題となったヴァルトシュレスヒェン橋は、2013年8月に開通していて、再推薦は当然これを除外したものとなるはずなのですが、その具体的な区域設定には難航も予想されています。少なくとも現在確認出来る時点では、ドイツの世界遺産推薦候補にドレスデン関連は含まれていません。
4、最後に
世界遺産は大まかに言えば文化の存続、自然保護を目的としたものです。当然賛否両論があるでしょうし、どちらが正しいというのも無いと思います。事実、ドレスデン市街に架けられたヴァルトシュレスヒェン橋は、渋滞の軽減に一役買っている訳ですし、逆に「国境を越える世界遺産」に領土問題や歴史認識が関わってしまい、国家間の武力衝突につながったこともあります。
まあ、何事もやりすぎは良くない、ということで…(まとめが下手糞)

な、何か暗ーい感じになっちゃった…
ええっと、今回はここまでです!
次回の話題は…何だろう?
国語(外国語)、社会ときてるから
恐らく理系科目…かなぁ?
と、取り敢えず次回も
よろしくお願いします!!
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